日本一の山門、国宝 東大寺南大門の迫力に驚く
興福寺から東大寺へは徒歩で10分ぐらいで大仏殿入り口へ。鹿がたくさんいる奈良公園を抜けて右手に行くと左手に東大寺の入り口があります。
まず見えてくるのが国宝、東大寺南大門。この門の大きさにまず圧倒されます。
天平時代の門は平安時代に倒壊してしまいました。現在の門は鎌倉時代の再建。
天才仏師 運慶たちが造り上げた仁王像
東大寺 南大門には金剛力士立像、左に阿形像、右に吽形像が向かい合って安置されています。阿形像は去年、運慶展で大反響だった鎌倉時代の仏師、運慶と快慶が小仏師13人を率いて、吽形像は定覚、湛慶が小仏師12人を率いて造立されたと言われています。
吽形像。南大門は外観は屋根が2つあり2階建てのように見えますが上を見上げると下層には天井がなく美しい骨組みを見ることが出来ます。
南大門を過ぎて拝観料を払い入場するとこれまた大きな大仏殿が見えてきます。正式には金堂、もちろん国宝です。創建は聖武天皇による発願で8世紀。
その後、2度戦火に合い焼失しています。一度目は1180年平重衡の「南都焼討」。
ちょうど源平合戦が本格化する時期。平清盛の五男として生まれた平重衡は武勇と教養を兼ね備えた人物で戦いに敗れ捕虜になった時も源頼朝に手厚く遇されたほどの人物。
当時、焼討は戦術の一つではあったのだけれど興福寺、東大寺の堂塔伽藍をほぼ焼き尽くしたのは意図的であったのか、そこまでする気はなく風にあおられて延焼してしまったのか。どちらの説もありますが織田信長も延暦寺を焼き尽くしたりしているのでどうなんでしょうか。
どうあれこの「南都焼討」の翌年、平清盛が急死し仏罰だと言われ平家は衰退の一途を辿ります。
二度目は戦国時代、「東大寺大仏殿の戦い」。俗に松永久秀と三好三人衆が東大寺付近で戦った市街戦をさします。
イメージからか、織田信長が徳川家康に松永久秀を東大寺大仏を焼き討ちした男と紹介したとの逸話からか松永久秀が東大寺を焼き払ったと言われていますが現在は「戦の最中の不慮の失火説」が取られています。
なので現在の金堂は江戸時代の再建です。
東大寺、大仏殿の本尊、盧遮那仏像。国宝。銅造で像高約14,7mあります。ちなみに鎌倉の大仏様は像高約11.39mです。奈良の大仏様は頭部は江戸時代、体部は鎌倉時代の補修となっていますがところどころ、天平時代の部分も残っています。
こちらは鎌倉期再建時の模型。現在の大仏殿は奥行き、高さは創建当時とほぼ同じで、幅は約3分の2になっているのがわかります。現在より大きいってすごいですね。
大仏の周りに四天王像が配置されていた?
大仏様のほかに四天王像が四隅にいたのですが現在は北西と北東の方角に2体いるだけです。
鎌倉時代初期には運慶作の大仏さまと同じ大きさの四天王像が存在していたことが分かっています。戦国時代の戦乱で焼失してしまった幻の四天王像となってしまいました。
鎌倉時代の再建時は今以上に威厳をたたえた大仏殿だったのですね。
北東に位置する多聞天立像。
頭部のみの四天王像。
人気の「柱くぐり」大仏様の鼻の穴と同じ大きさの柱の穴。この柱の穴をくぐり抜ければ無病息災のご利益があると言われています。ちょっとした行列が出来るほど人気があります。成人男性はちょっと厳しそう。女性や子供はなんとかくぐり抜けてましたね。
体が柔らかいと自信がある人は挑戦してみては?
東大寺のおすすめお土産「東大寺 薬湯 天真」
東大寺のお土産おすすめ!
東大寺の「薬湯 天真」を購入。何だかすごく効きそうな気が。。
病人の治療、救済に尽くした光明皇后の1250年忌にちなみ販売されたもの。
聖武天皇崩御の際に悲しみにくれた光明皇后は天皇の身の回りの品を献納され今も正倉院に保存されています。その中に薬草が保存されていて今も効き目があると言われています。
正倉院に保存されている種々薬草帳に記載されている薬草60種類の成分を研究して開発されたものだそうです。由緒ある薬湯ですね。効きそうな気がしてきませんか?笑
東大寺大仏殿は奈良で一番の人の多さでした。どれもこれも大きくて見応えがあります。
- 東大寺
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- 住所:奈良市水門町南院畑82(南大門南側)
- 電話:0742-22-5025
- 営業時間 :大仏殿・法華堂(三月堂)・戒壇堂 4~10月 7:30~17:30 11~3月 8:00~17:00
東大寺ミュージアム 4~10月 9:30~17:30 11~3月 9:30~17:00 - アクセス:バス 近鉄奈良線「奈良駅」から市内循環バス「大仏殿春日大社前」下車徒歩5分。
徒歩 近鉄奈良駅から徒歩約20分
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